2003/06/27
 メラニーが行く
 
   
SWEET HOME ALABAMAを観て
アメリカ南部のアラバマ州の町に、雷雲がたち平原に雷が落ちる。幼い男女がその雷の落ちた場所へ覗きに行き、そこでキッスをする。女の子「なぜKISSをしたの?」、男の子「好きだから。」、女の子「なぜすきなの?」、男の子「ずーと一緒にいたいから。」と言う会話からストーリーが始まる。

主人公メラニーはニユーヨークのカリスマ的若手デザイナーである、マスコミでも評価が良く出世街道を登っていく、明日も地球も自分の為に廻っていると思うぐらいに・・・・・。ニューヨーク市長の息子にみそめられて、ティファニーを借り切ってプロポーズを受ける。
 しかし、直ぐに結婚へと進まない問題を抱えていた。彼女はすでに幼馴染と結婚をしており、別居はしていたが離婚はしていなかった。愛車のポルシェにてニューヨークからアラバマまで帰郷して、過去と決別し、輝きに満ちた未来をつかむために、夫に離婚を迫るが、夫はまだ好きだと言って離婚に応じなかった・・・・。
 実家に数年ぶりに帰ると両親に暖かい祝福をうけたり、町では同級生に会ったりして久々に田舎の雰囲気を満喫する。父親はねっからの南部魂の持ち主であり、いまだに南北戦争時の敗戦にこだわりを持っており、北部の人間嫌いである。両親共にこの結婚には乗る気ではなかった。
 ようやく夫に離婚届けにサインをもらい、どこで結婚式を行うかの話し合いの末に、ニューヨークではなくて、アラバマにて行う事になった。しかし、ニューヨーク市長の息子の結婚に政界・財界・マスコミからの多数の出席にたいして、ホテル、式場など小さい田舎の町でどう対応するか、大騒ぎの問題に発展したが、アラバマにて結婚式を行う事になった。

 結婚式の当日、メラニーが離婚届に自分のサインを忘れていたために、結婚にストップがかかる、と同時に雷雲が立ち込め、大雨と稲妻模様の天気になり、結婚式は中止になってしまう。その時、夫は一人で最初にキッスをした思い出の場所にたたずんでいた。そこへ、花嫁姿のメラニーがかけつけてキスをする。


 男「どうしてボクと結婚したいの?」、女「いつでもキスしたいから。」と言って。大都会の富と名声よりも大切なものをゲットする。なんとおしゃれな痛快ラブコメディー。
 最初と最後の演出がとっても感動させてくれる、童心に返り、純心さをもっともっと大切にしたいと感じる、気分がスカッとする映画だった。

 
 
  2003/06/24
 カーポート・システム屋根
 
   

 愛車を雨・露から防ぐにはカーポートが必要です。この度、雨風そして雪にも強い、カーポート屋根材を販売します。従来のプラスチック製の屋根ですと、夏の日照りで変色・ゆがみ・反り、火にも弱く、そして雪の荷重によってたわみなどが生じることもありますが、鋼板製のハーパーズストロングルーフなら、これらの悩みを解決する事ができます。
 素材はアルミ合金メッキを施し、耐久性に優れ120cmの積雪にも耐えることができる構造の上、施工スピードに優れたワンタッチ施工が可能な屋根材です。
ハーパーズストロングルーフの屋根で大切な愛車を雨に濡らさず、汚れから守ります。

カーポートシステム屋根の詳細はこちらへ
 
  2003/06/21
 なんかへんだな
 
   
なんかへんだな
最近のファッションと若者の行動は、現在の世相を反映しているのか信じられない、目を疑いたくなる光景が多い。駅のコンコースやホームそして電車の中で、ベタと平気で尻をついて座り込んだり、ウンチ座りをしながら円座を組み、タバコをふかす。ジベタリアン???なんかへんだな。

 他人の目線など何のその、素知らぬ振りをして、ただなんとなく話をしている様だ。スタイルはミニスカートが大半であるが、恥じらいなどはまったく無視しているようだ。
パンツ姿の場合は腰のあたりよりさらに下にベルトラインを持ってきて、短い足をさらに強調するようなはき方をしている。
 髪の毛色の規制をしていないのか、黄金色・トウモロコシの毛みたい色などバラエティーに富んだ髪色である。教育者たるもの何も言わない、なんかへんだな。

男に関しては、地上のゴミを掃いているような、松の廊下を歩いているほど極端ではないけれども、ズボンの裾は汚れているのも平気で、やはり短い足を強調するようなとてもコッケイなスタイルで歩いている。髪の毛は染めてさらに額に剃りを入れる、その剃りも稲妻模様があったりする。十代の象徴か???馬鹿を表現しているのか???とっても理解できない。これまたなんかへんだな。

 先日、ラッシュアワー時に電車の中で平気でコンビニかどこかで買ってきた、ハンバーガーをパクついている女高校生を見かけた。片手にはコーラを持ち、とても混雑している車内でケロッとたいらげた。腹が減っていたのだなと思いきや、今度はでかい丸鏡を持ち出して、顔のペイント作業を始めた!!!人目をまったく気にしない、なんかへんだな。
 最近、東欧の八都市を回ってきたが、パフォーマンスをしている大道芸人以外は珍妙なスタイルの若者はあまり見うけなかった。
地球がますます小さくなり、東アジア諸国が日本を目標に、より以上の発展をしようとしている、なんかへんだな現象の日本は次世代には抜かれてしまうだろう。
東欧旅行記は屋根屋ホームページの番外編を御覧下さい。
 
 
  2003/06/15
 柿 渋 (か き し ぶ)
 
   
 
 先日、お世話になっている建築家の福田紀子先生より、今施工中の物件に柿渋を採用されるとのお話を聞きました。その柿渋の効能などのお話。
本年七月一日からシックハウス対策に係る改正建築基準法(以下、国土交通省住宅局ホームページより引用)
『(1)規制対象の科学物質
 クロルピリホス及びホルムアルデヒドとする。
 (2)クロルピリオスに関する規制
居室を有する建築物には、クロルピリホスを添加した建材の禁止。
(3)ホルムアルデヒドに関する規制
 @内装仕上げの制限 A換気設備の義務付け B天井裏等の制限 』が施行される。 
現代化学の粋をあつめて数多くの接着剤が開発されて、色々な種類の新建材が創り出されてきた。その中で人間の健康を害する化学物質が混入して社会問題に発展した。
いかに合理的に生産効率を高め、大量生産をしてより安く消費者に提供出来る建材の開発及び製造販売に各社が競う時代が高度成長期に合わせて続いた。
 しかし、居室空間や天井裏等から発散するホルムアルデヒドを建材・家具を含めて制限される法律がなかった。そのような社会情勢から・・・・・、
『最近になって柿渋 (防水・防腐・防虫)の効能が認められる様になってきた。
昔からの使用例として蛇の目傘などの和紙に柿渋をしみ込ませて紙繊維質に吸収され乾燥後に不溶性物資をつくり、和紙の強度を高めるだけでなく、紙の繊維分の強度を高め、防水性を兼ねそろえる役割を果たした。
 自然繊維の魚網の防腐材として、すべての日本酒ではないが防腐剤の沈殿効果を高める材料として使われたりしてきた。また家具を虫食いから防止するだけでなく、色付けに採用され、塗布(乾燥)直後の色はごく薄いものであるが、光にあてるほど時間の経過によって濃い茶色に発色するそうです。最近ではシロアリ防止材として柿渋が採用されるケースがでてきたりして、あらためて効能が見直されてきた。
 建築学会などではまだ認められていないけれども、近い将来においては数々の実例や実験などを重ねて、認められるのではないだろうか。』とのお話。
 『木材等に柿汁を塗布すると、そのエキスが内部に浸透し、木材の細胞が収縮して反り・テリなどの発生を少なくする効果がある。』この特徴を利用して現在実績を重ねている、弊社のデッキ工法などにも幅広く展開できるのではないかと思う。近年、自然志向の高まりもあり、シックハウスの原因であるホルムアルデヒドを吸着する作用があることも実験され始めました。結果次第では建築素材の一つになるのもわずかな時間ではないでしょうか。
   
 
 
  2003/06/09
 奇 想 天 外
 
   
人は十人十色、いや千人千色の考えをそれぞれ各個人の脳細胞によって創り出すものだと思う。
数億に及ぶ脳の細胞によって回路の組み合わせがさらに複雑に絡みあい、一つ一つの個性的思考が誕生するのではないだろうか。
色にたとえると同じ製造過程にてつくられた塗料を、塗る素材や材質によって表面の凹凸などにより、微妙な濃淡の変化ができる。
 また、顔料につや消し材や光沢材を交えるとさらに別世界の色合いが出来あがる。そして塗りあがった物の見る角度を変化させたり、光の照度を変化させたりすると人間には感じられない、さらに数億の色を表すことができる。
そして、各色の種類の組み合わせをすると何百億の数になる。
 世の中に過去から現在にいたる広告の例をとってみても、よくもまあ色々なアイデアが浮かぶものだと感心する。昔、トヨタカローラのコマーシャルにおいて、『ウィリアムテル序曲をバックに弓矢とカローラが競争して、いち早く車の上に置いたりんごの実に弓矢が刺さる。』テレビコマーシャルがとても印象的で記憶から離れない。
ドイツ、ハンブルグ空港のターミナルビルの中でAUSGANGの標識を頼りに出口にたどり着くところに、写真のような三つの展示広告があってびっくりしました。
いきなり壁に人(人形)が逆さまになった展示物が現れると、すぐその横に自動車が天井よりぶら下がり、接着剤が剥がれて伸びて落ちそうになった、レンタカー会社の展示広告が目に自然に入ってくる。
 そして、そのすぐ先にはこれからの季節に最高の乗り物、コンバーチブルタイプ自動車の展示広告が置いてある。
単に、自動車だけでなく運転している人形の髪の毛が風にあおられて飛びそうになるような、スピードとジョークを一度に表現している。

広告における分野において奇想天外な展示をすることによって、消費者にいかに印象を与えるかのお話。
 
 
  2003/06/03
 予 期 せ ぬ 激 痛
 
   
 五感を通じて沢山の痛みを我々人間は感じることができる。
しかし、予期せぬ激痛を体験することがたまにあると、ものすごいショックで痛さより驚きが先に来る、そしてその後にジーンと徐々に痛みがやってくる。 以下は体験に基づいたお話です。

 ボクシングをやった時、アッパーカットをくらってリングに倒れる。この痛みは意識がなくなってなにも痛みを感じない。気が付いた時はリング上で 「起きろ」 と起こされた時で、何処かの世界へ連れて行かれたようである。
一つのスポーツとして、わずか3ラウンドの間ゴングが鳴り、始めはガードを固めて腕は鋭い動きをする。しかし、90秒を過ぎる頃になると腕は腰のあたりまで下がり、すっかりガードが甘くなってしまう。
  そこに一撃を食らうのだから、あらかじめ体は予期をしていての激痛があるだけである。
ボクシングの選手の体力・耐力には凄さを感じる。

 スノーボードをし始めて間もない頃、滑降中に突然ギャップに乗り上げると転倒します。スキーと違い両足をロックされていますのでバランスを崩すと、アッと思わない瞬間に転倒します。尻、膝、腰、肘に痛みが走ります。
 スキーは片足づつ離れていますので多少のギャップでバランスを崩しても、転倒せずに滑る自信はあります。しかし、両足が一つで固定されているスノーボードは初心者のころ予期せぬ転倒をしてアイスバーンに身体を打ちつづけるとても痛い思いをしました。
 この予期せぬ激痛はさわやかさを伴うものです。さて、今年は安比高原にでも兆戦してみよう。

 日常体験する事の一つに、特に朝、寝ぼけている時や慌てた時などに遭遇する、ドアの縁に足の小指などをぶつけた時の激痛は格別である。
 
腹を立ててドアを蹴飛ばしたい気分にさせるが、その時はただ何もせずにじっと痛みの引くのを待たなければならない。
眠たさがいっきに何処かへ飛んでいき、夢から現実に突然舞い戻ってしまう。

 ツードアタイプの自動車の後ろ座席に乗せていただき、レストランへ向かう途中に、車内では今から何を飲んで何を食べるかの話で盛り上がる。
  目的のレストランへ到着、駐車場が少し傾斜している状況であった。まず先に前座席の人から降車し始める。そしてドアの柱に手をかけて、自分が降りようとした時にドアーが傾斜のために閉じてしまい、指4本を挿まれた。
  この時の激痛は今でも忘れることができない。水割りを飲むどころか、ロックタンブラーに氷を満杯にして指を漬けて冷やしつづけた。
 せっかくの食事会を台無しにするわけにいかず、痛さを微笑みにかえての冷や汗だらけの歓談だった。
 パーティー会場で人と名刺交換をして、頭を下げて挨拶をしている時に、たまたま後ろを通過した人に接触して前に押し出された。その一瞬頭と頭がゴンとあたり、目の前に火花が出る。
 急所を直撃してのショックであるけれども、 その時に大声をあげるわけにもいかず、お互いに痛さを我慢しての苦笑いにて、激痛の去るのを待たなければならない。
  紳士のパーティー???
 板金用の金きり鋏にて、その鋏で切断できる能力以上の厚みの板を無理して切る時には板を切らずに息をきりながら力任せに力を入れる。その時に無我夢中になってしまい、腹筋を利用して腹に鋏を付けて力任せに切断する。その時に板が切れたと同時に鋏のえの部分で腹をはさむ。この激痛は耐えがたい体験のひとつである。
 腹は何度も経験しませんが、手のひらを挟むことはたびたびおこり得る。 馬鹿と鋏は使いよう。
 金属屋根材を主に取り扱っている商売のために、金属製品や鋭利な物を触るときは細心の注意をはらう。
しかし、日常手にしている紙類で手を切ることがある。激痛とは言わないけれど、チクチクと痛みが続く嫌な痛みである.紙と思って油断しているとたまたま遭遇する。手を滑らせると鉄板を触る時にも怪我をするので、書類の整理などで紙を滑らせない注意が必要である。

 男性で球技の経験者は沢山いると思いますが、野球でショートバウンドを取り損ねて球があたった時の激痛は腹に差し込む痛さである。
  方言で 『たまがった』 (ビックリした) ということを聞いたことがありますが、この表現は驚いたということをダイレクトにあらわした方言であると思う。
ピアスをしている人が男女区別なく街中で見かけることが多くなりました。その方の体験談として紹介します。
街を歩いていると、本日開店とか大売出しなどの布製ノボリを目にします。たまたま春のそよ風に、その布ノボリがたなびいている直ぐ横を歩いて通過する時に、のぼりが顔に触れたと思う瞬間・・・・・ガーンンンと耳がちぎれると思ったほど、そのノボリに引っ張られたそうです。
一瞬何事と思う激痛が走ってその場にうずくまったけれども、一体今の自分に何が起こったかわからず、他の通行人に「どうした?」ときかれても何も答えられないで痛みの引くのをただ待ったようです・・・・・・・。
 付けていたピアスがノボリにヒッカカり一気に耳を引っ張ったのです。「誰かが暗闇から出てきて一撃を食らったようだ。」「耳が一メートル伸びた」と思った。

 わき見や考えごとをしながら歩いていて、別に視界が悪くなったわけでもないのに、足元の突起物にスネをぶつけた時の痛さも強烈である。あまりにひどいと転倒などをして怪我をするが、ただぶつけただけでも肉の殆どついていない場所であるために痛い。
 野球のボールが真を捉えて跳ねかえるようだ。あまりにもその悔しさにその突起物を蹴飛ばして、さらに足の甲を痛めたことがある。 泣き面に蜂に刺されたようだ。