2003/03/27
 イ ラ ク 開 戦
 
  
米英の情報とイラクの情報が飛び交い、どちらが本当でどちらが嘘かの駆け引きを見極める報道がおもしろい。
「イラクのラマダン副大統領が最初の空爆でなくなった」 と報じて、米英はイラクの出方を覗っていたら、まだ元気だとイラク側は反論する。
これは米英の駆け引きにつられて生存を証明させたのと同じであり、何処にいるか今後の情報をさらに集めて、的をしぼりやすくしたのではないか。 きっと、フセイン大統領と一緒に地中の深いところに潜んで展開を見守っているに違いない。 オウムの大将みたいに天井裏にいるかも・・・。
また、イラク南部を制圧してイラクの国民に米英の兵士が解放軍として歓迎されたかのような映像を何回も映して今回の戦争の正当性をアピールしようとしている。イラク側の報道がアメリカ兵の捕虜の姿や死亡した様子を撮った映像は」かえって反イラク感情を高めた結果になったのではないだろうか。
空爆や砂漠を戦車が走り、銃器を撃つ戦争の光景は迫力があって凄い。しかし、罪のない子供達や住民の方々はどのような思いで毎日を過ごしているのだろうか。兵士の方々もどのような思いで戦っているのだろうか。
自分も砂漠の上を歩いたことがあるが、重装備をしてさらに自分の飲料水20リッターを担いで歩くのは容易なことではない。
さらに、トイレはどうするのだろうか?汗をかいて体が臭くないのか?砂が目に入りゴロゴロしたりしないだろうか?戦車の中でもよおしたらどうするのだろうか?捕虜になった人々が大勢いるのに、何処へ連れていくのか?食事はどうするのか?なんてのんきなことを考えてしまう。
ハイテクな装備も市街戦になると役立たないともいわれており、街の様子を心得ているイラク兵に有利に働くと思うので、長期戦になって泥沼化するのではないか。
各国の首脳は戦後の対イラク復興のビジネスをすでに考えているのに、日本は数歩遅れた議論を国会でしている。
大枚の血税を出して援助をしているわりにはモタモタしているのではないだろうか。
一時も早く平和が訪れることを祈ります。

 
 2003/03/21
 雪 田
 
  
三月、最高気温の温暖の差は、他の月と比べると変化が一番激しい月です。モクレンの花も咲き始め、さくら前線が日本列島北上中です。 
長崎県ではモクレンが満開ですが、まだまだ東北秋田では、先日の雪で木に花のような雪花をつけた光景がみられます。日本列島北から南へほんとうに長いなと感じさせます。
雪解け水を集めた雄物川も、春の兆しを伝えます。しかし、田畑はまだまだ雪に覆われており、秋田県合川町の雪田というところは、地名のごとく純白な雪のフィールドのままです。
なんとなく、雪の田の上を歩いてみたくなり、足を踏み入れてしまいました。
 先ほどまで降っていた新雪と昨年から積もりつづけた雪の感触を同時に感じることができました。新雪のグスグスという音をたてる感触とザクザク、ブズーという旧雪との感覚が嬉しくなり、ついつい雪田の中へ中へと歩きつづけてしまいました。
 後ろを振り返ると今歩いた自分の足跡が後を追ってきます、過去の形跡は消し去ることができません。しかし、前方はまだだれも踏み入れたことのない雪田がつづきます。
 未開の所を歩いているような、なんとなくフロンティア精神を奮い立たせられた気持ちになり、フト!!前々から懸案だった新しい工法のアイデアが雪田の上で発案できました。
また何かいきずまった時、雪田の上を歩けば新しい道が開けて来るような気持ちになりました。

 
 2003/03/15
 さ く ら
 
  
『さくら前線が北上中です。』
この言葉を聞くと春が来たんだなーと感じます。
昨年は3月16日ごろ開花が始まり、入学式の頃には葉桜になってしまいました。今年は例年並みの開花予想です、やはりさくらの花が入学式を盛り上げます。
日本列島南北2000数km、南から約二ヶ月以上かけて北上をはじめます。九州から関東地方までは一日30〜40km/hの速度で北上し、関東以北になると速度が遅くなりはじめます。 津軽半島をこえて北海道に到着するころには一日15kmぐらいになるそうです。
しかし、北国はまだまだ雪の中です。
屋根に積もった雪は春の陽射しを浴びて、だんだんと少なくなって屋根面の顔を出しはじめます。
(秋田県大曲市)
『さくら』 僅かな期間に一気に咲き始め、万葉の時代から人々に愛される、気持ちが明るくなる不思議な花。
 
 2003/03/09
 シ カ ゴ
 
  
先日、シカゴへ行ってきました。真冬のシカゴは初めて訪れるので、以前シカゴ駐在していた方に冬の服装について伺い、寒冷地対策の準備をして乗りこみました。
厳寒の言葉がピッタリの寒さです。
氷点下15℃という気温は以前北海道にて体験はしましたが、ミシガン湖から吹き付ける風は、湖上の寒風を共に連れてくるためかとっても冷たく、骨の芯まで凍えてしまいそうな体感温度に感じました。
しかし、この寒さと湖から吹きつける風のために、空は抜けるような青さです。建築物のアートギャラリー的な街の写真を撮ってきましたが、上天気のためかそこそこきれいな写真が撮れました。
  
世界的に有名な日本の帝国ホテルなどを手がけた、建築家フサンク・ロイド・ライトの作品をはじめ、沢山の有名な建築家の方々の作品を見ることができました。
シカゴについての情報は『見手我留記』コーナーにて御覧ください。
 
 2003/03/03
 名 刺
 
  

だんだん春めいてきました。今日はひな祭りと耳の日です。早いもので、今年も二ヶ月を経過してしまいました。
先日、昔お世話になった人の名刺を探していて感じたことを紹介します。過去にずいぶん沢山の人達と名刺の交換をしたものだなと思いつつ、色々な名刺を眺めていると、圧倒的に白黒の社名と氏名が書かれたシンプルな名刺が大多数を占めます。
同じ方が転勤したり、部署がえになったり、また栄転して出世したりした歴史をも感じることができます。
そのような中で、日本中で一日に名刺交換される枚数は一千万枚と言われていることを思い出しました。しかし、名刺交換をする時にほとんどの人は 「どうも始めまして」と言って、自分の会社名と自分の名を紹介します。

年月が経つと、今までに交換したこのように沢山の名刺を見て、その方の顔と名前が失礼と思いますが一致しません、また思い出すこともできない人が大勢おります。

ある政治家のパーティーにて政治家の方が、会う人会う人に名刺を手渡ししてるのを見たことがあります。政治家がその方の名前を売る為にばら撒いた名刺とはわけが違いますので、本来ならばもう少し自分が渡した方の認識をしなくてはならないのですが。
しかし、展示会へ行った時や講演会・後援会などの会場で沢山の方々とお会いして頂いた名刺はなおさら顔も思い出せなくなってしまいます。.
弊社の名刺は、せっかく差し上げる一枚の名刺を出きるだけ第一印象を強く与えるために、営業効果を含んで作っております。お蔭様で初めてお会いする方にとっては、かなり強烈なインパクトを与えることが出きるみたいです。
最初の挨拶が終わり、ほとんどの場合「強烈ですね、何の商売をしているかすぐにわかるね。」と言う会話から話が進んでいきます。また、名刺整理ケースに保管しておいても、「すぐに見つけることができる」と好評を得ています。
今後とも、一枚一枚心をこめてビジネスに活躍させていきたい。